カテゴリ:歴史

  • 引くことは進むことより難しい。
    [ 2012-03-15 18:16 ]
  • 戦国武将のコーヒーとか?
    [ 2010-01-25 12:49 ]
  • そういえば・・・
    [ 2009-06-24 22:31 ]
  • 大河とかレキジョとか?
    [ 2009-04-04 12:26 ]
  • 心頭を滅却・・・
    [ 2008-08-24 20:52 ]
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    [ 2008-08-17 12:36 ]
  • 関が原の戦いとは?
    [ 2008-08-04 14:01 ]
  • ちょっとした由来とか
    [ 2008-07-26 21:55 ]
  • そのとき歴史が…
    [ 2008-07-18 11:45 ]
  • 過去から学ぶ
    [ 2008-07-10 13:29 ]

引くことは進むことより難しい。

戦国時代のクライマックスともいえる
「関が原の戦い」の中に
有名な武将がいる。

「島津義弘 公」

かの武将の名を歴史好きで知らない人は
いないと思う。

不遇な立場で追い詰められても決して、
自分の立場を見誤らない武将だ。


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by chiemine74 | 2012-03-15 18:16 | 歴史 | Comments(0)

戦国武将のコーヒーとか?


ちえみ輝虎です。

戦国武将GEORGIA缶があったので
揃えてみました。



まだ近くのローソンにあるけど コンプリートはしません。
全10種類。
上杉謙信、直江兼続、前田慶次郎、真田幸村(真田信繁)
織田信長、伊達政宗、武田信玄

この中に竹中半兵衛がないの!?
黒田官兵衛はあるのに・・・

あと島津義弘と毛利元就も入ってないとは!
選んだのは誰ですか?もう・・・

by chiemine74 | 2010-01-25 12:49 | 歴史 | Comments(0)

そういえば・・・

ちえみ輝虎です。

NHKで現在大河ドラマ「天地人」が
やっていますね。

ちょうど2005年の今日
自分は新潟県上越市の春日山にいきました。

当時、自分は静岡県浜松市に住んでいて、
車で片道8時間ぐらいかけていきました。

戦国大名・上杉謙信ゆかりの
春日山は広く、全体を歩くには2時間ぐらい
かかり、この史跡を見に来ている人は
ほとんどいませんでした。
山頂に立っても曇っていたので市内は
よく見えなかったことを覚えています。

また 行きたいですねー

by chiemine74 | 2009-06-24 22:31 | 歴史 | Comments(0)

大河とかレキジョとか?


ちえみ輝虎です。

大河ドラマ「天地人」の影響とか、
ゲーム「戦国無双」の影響とかあり
"レキジョ"という言葉までできているようです。

いろいろとTVでも歴史関連は取り上げられていて
歴史好きとしては喜ばしい反面、
上辺のみが取り扱われているので少しさみしいです。

「天地人」の主人公・直江兼続はクリーンに表現されていますが、
実際はかなり計算高いところもあった人物です。
ボクは1993年秋ごろに兼続のことを知りいろいろ本を読んだものです。

直江兼続が所用した"愛"のついた具足
(金小札浅葱威二枚胴具足
/きんこざねあさぎおどしにまいどうぐそく)
ですが・・・
あくまで"所用と伝えられる"と明記されているので、
実際、兼続が使用したものかはわかっていません。

関が原合戦以降、兼続は内政に携わり・・・
農民の田畑に行っては「子作りしろ!!」的なこと言っていたようで
おそらく兼続の言う"愛"の意味はこっちでしょうね(笑

そして上の写真の
”浅葱糸綾威錆色塗切付二枚具足
/あさぎいとおどしさびいろぬりきりつけざねにまいぐそく”も
長谷堂合戦(関が原合戦・東北版)の際、着用していたもの伝わる。
「長谷堂合戦図屏風」ではこの具足を着用しているようなので
おそらくこちらは確実に兼続の所用であろう。

戦国期には、ヨロイ・カブト・幟(のぼり)はパフォーマンスとして
使われることが多く実戦で使われているかはナゾである。

猛将として知られ熊本城・名古屋城の築城の設計をした加藤清正は
その背の低さを恥じて、カブト(烏帽子)を長くしたという。
その長さは75センチであり、材質は和紙というから防御力は度外視で
パフォーマンス的要素が高いと思います。

面白いカブトとしては、豊臣秀吉の参謀とも言われ、
反面、秀吉におそれられた黒田如水は、その名から
"おわん"の形のカブトをかぶっていたという。
法名の如水(水の如く)にかけている、彼なりの しゃれだったようです。

そのように考えると
直江兼続のカブト、ヨロイ、具足も
パフォーマンスの要素であると思えますね。

by chiemine74 | 2009-04-04 12:26 | 歴史 | Comments(0)

心頭を滅却・・・

ちえみ輝虎です。

北海道では、もう秋な感じがするところも
でてきた模様。夕暮れ過ぎると寒かったりします。

知っていて、よく使うけど
ノリで使っているので本来の意味わからん的な言葉で

『心頭を滅却すれば 火もまた涼し』というのが
ありますね。ハイ。

意味は"(無念無想の境地にあれば火も熱いとは
感じなくなるということから)
どんな困難も心の持ち方しだいで苦しみも感じなくなる"
夏の暑い時期によく聞いたりしますが、
別に時期は関係なかったりします。

誰が言ったかというと"快川紹喜(かいせんじょうき)"という僧侶です。
時は戦国時代、その当時、織田信長がもっとも権勢をもっていました。
信長は天下統一事業として各地を転戦していた頃です。

1582年(天正10年)4月3日(陰暦)、
近江の六角義治(1568年9月 信長に負けて敗走)を匿っていたため
後継者であり息子の織田信忠(おだ のぶただ)に命じ、
快川紹喜のいた
甲斐・恵林寺(塩山市/1330年夢窓疎石・創建/臨済宗)を焼き討ちした。
その際、快川紹喜はこの焼き討ちされた寺の
中でこの言葉を残したとされます。
原文は「安禅必ずしも山水を須(もち)いず、
心頭を滅却すれば火も自ずから涼し」
恵林寺は当時100余人いたといわれますから、
落ち延びた人もいるでしょう。

しかし、同年6月2日 本能寺で織田信長は明智光秀に打たれてしまう。
 そして皮肉にも信長がいた本能寺は火の海であった…
たった2ヶ月で人生の最高潮から転落してしまう。

この言葉には、こんな由来があるのです。

by chiemine74 | 2008-08-24 20:52 | 歴史 | Comments(0)

よくしってるようで しらないことがおおい

ちえみ輝虎です。

結構、知っている言葉だけど
本当はどういう意味とかいう言葉は沢山ありますよね。

「元の木阿弥(もとのもくあみ)」
これはとある戦国時代の大名に関わった言葉です。
辞書では
「一度よくなった状況が結局元に戻ること」とあります。

※以下、長いです(笑

■さてその戦国の武将とは
『筒井順慶(つつい じゅんけい)』(1549~1584)
 織田信長(おだ のぶなが)、豊臣秀吉(とよとみ ひでよし)に使えた武将です。

時は戦国時代(室町時代後期)1551年、
大和郡山の城主・筒井順昭(つつい じゅんしょう 28歳)が病死したが、
跡継ぎ藤勝(のちの順慶)は幼少であったため
順昭の遺言どおり死を隠し影武者をたてることにしたのである。
それが盲人の『木阿弥』である。
順昭と声や姿が似ていたことから影武者として務めたわけである。
約3年後、順慶が成人したために『木阿弥』は影武者の役割を終えて
『元の木阿弥(もとのもくあみ)』に戻ったということである。
この故事にちなんで『元の木阿弥』という言葉ができた。

■もう一つ、順慶は故事を残している。
『洞ヶ峠(ほらがとうげ)』
辞書では、日和見(ひよりみ)、両方をくらべ有利なほうに付こうと
形勢をうかがうこと とあります。
地理的に洞ヶ峠は、現在の京都府八幡市八幡南山にある峠、
京都府道284号八幡インター線あたりを言う

これは、1582年 本能寺で織田信長が
その家臣・明智光秀(あけち みつひで)に
討たれると事件に関係しています。(『本能寺の変』)
主君の仇討ちを目的とする
羽柴秀吉(はしば ひでよし のちの豊臣秀吉)と明智光秀が
激突するときのことです。(山崎の合戦または天王山の戦いともいう)
仇討ちの大義名分を掲げる、羽柴秀吉につくか、
その昔領地を失いかけたときに世話になり一国の領主として取り成してくれ、
現在は与力(武将としては同じの位/加勢、助力の意味)で
ある明智光秀につくか順慶は思い悩んだ…
そこが『洞ヶ峠』である。
そこから転じて日和見を『洞ヶ峠』というようにもなった。

順慶の名誉のためにいっておくけれど
実際、『洞ヶ峠』に軍を進め迎えにいったのは明智光秀のほうである。

だが、真実がどうであれ彼の行動は日和見の印象をあたえたことは
間違いなく、現在も不名誉な認識をされているのは事実である。

そしてそれから2年にも満たない1584年9月に順慶は死去(36歳)する。
余談ではあるが
のちの『関が原の戦い(1600年)』で西軍に属しながら裏切り
徳川家康の側・東軍についた小早川秀秋がその2年後狂乱して
死去したことからもわかるように日和見は不名誉なだけでなく、
自分自身も良心の呵責にたえられず
精神さえ壊しあまつさえ命まで奪ってしまうものだという
教訓なのかもしれない。

ちなみにもう一つ、『関が原の戦い』では、筒井家を見限り
出奔、浪人してた島左近勝猛(しまさこん かつたけ)が
石田三成(いしだ みつなり)の軍師として戦ったいうことからも、
筒井順慶そして息子の定次にも有能な武将を引き付ける
カリスマ性に欠けていたのでしょう。

そして極めつけ
順慶の子・定次はその合戦では東軍つくが、
のちに家臣に訴えられ改易、大坂の陣の前に自殺してしまい
戦国大名としての筒井家は滅亡してしまう。

現在、筒井家の子孫は少なくないが、
「時をかける少女」「家族八景」「パプリカ」「ダンシング・ヴァニティ」などの
作品で有名な作家・筒井康隆がいる。
そして彼自身「筒井順慶(1969/講談社のちに角川文庫→新潮文庫)」に
ついて本を出しているので興味のある人は一読してみるのもいいかと思います。

by chiemine74 | 2008-08-17 12:36 | 歴史 | Comments(0)

関が原の戦いとは?



ちえみ輝虎です。

戦国最終決戦! 関が原秘話
宙(おおぞら)出版

1600年 関が原の戦い。

誰もが一度は、学校の授業で聞いたことがあるでしょう。
しかし、この戦いが何を目的に何のため行われたかは
意外と説明できる人は少ないでしょう。

東軍の大将は、徳川家康ですが、
西軍の大将は、わかりますか? 石田三成ではありません。

以前、クイズ番組で"関が原の戦い"西軍の大将は誰?という問題がありました。
順は忘れましたが、 上杉謙信 武田信玄 伊達政宗 石田三成 
あたりの4択でした…
どれも違います。

徳川家康と同じ、五大老の毛利輝元が西軍の大将です。
ちなみに西軍、副大将は宇喜多秀家です。
石田三成は、現場の総司令官という感じが適切だと思われます。

そんなことよりこの戦いがどのような意味を持っていたが重要です。

一つは応仁の乱以降、100年以上も続いた「戦国時代」を誰が終わらせるか
二つ目は、豊臣秀吉の死後の後継者を決める戦い。
あと沢山あるでしょうが…
もっとも 人が思ったのは"戦いに疲れた…"ということで、
偉大な権力者がでて安定した時代を迎えたいという叫びがこの戦いに
集約されていた。

そして、よく調べると石田三成は、恩義に優れた武将だということ
分かってきます。

by chiemine74 | 2008-08-04 14:01 | 歴史 | Comments(0)

ちょっとした由来とか


ちえみ輝虎です。

今日は13日の金曜日ではありませんがー
13日の金曜日は不吉といいはじめたのは誰でしょう…?
ちなみに近い13日の金曜日は、今年6月でしたよね。

そういうのは、必ず謂(いわ)れというのがあるものです。

金曜日は英語でFriday。これは何の日かって考えたことはありませんか?
Freyja-day つまり北欧神話に出てくる女神フレイヤの日のことです。
キリスト教は多神教を否定していることもあり、
この日を「悪魔信仰の日」と定めたそうです。

次に13が不吉な理由は『太陰暦』の13ヶ月を連想させ、
女神の聖なる月を意味したからなのです。

ちなみに
火曜日(Tuesday)はティール(Tyr)の日
水曜日(wendnesday)はオーディン(ヴァータン/wotan)の日
木曜日(Thursday)はトール(Thor)の日

その後、
Sun(日) Moon(月) Mars(火) Mercury(水)
Jupiter(木) Verus(金) Satun(土)
とローマの神に入れ替わったとも伝えられます。
当時 ローマ帝国の力が強かったこともあると思います。

結論、13日の金曜日は日本人にとってなんら不吉ではない。
むしろ、奇数はいい数字だそうですよ

北欧神話であと有名なのは
ラグナロク=偉大なる神々の暗闇
わかりやすくいうと、アルマゲドンまたはハルマゲドン、
最終戦争のことです。
もしも、地上の誰かが核を使って悪いこと考えれば、
人間たちはこの状況に陥るでしょう…
神話・伝説のかたちをとった人類への警鐘ともとれます。
またはすでに人類はこの最終戦争を起こし滅んでいるとも考えられます。
一説には月のクレーターは核戦争の傷跡とも云われていたり、
モヘンジョ=ダロの遺跡にも核の傷跡があるとか…真偽のほどは
確かめようがありませんが…一度は遺跡を見てみたいですね。

そんなことにならないように 人は道徳というものを持ち
慈愛の精神を忘れず…おだやかにすごしたいです

by chiemine74 | 2008-07-26 21:55 | 歴史 | Comments(0)

そのとき歴史が…


ちえみ輝虎です。

いつも手元の近くにあり、TVやマンガなどで武将が話題になると
すぐ本で調べることが多いです。
この本は「戦国時代」(室町時代後期より江戸時代初頭)の
戦国武将について描かれています。

題名が「戦国なるほど人物事典」です。
PHP文庫/著者:泉 秀樹 ¥819(税別)
戦国時代の100人について書かれています。
北条早雲、武田信玄、上杉謙信、斎藤道三、足利義昭、
織田信長、明智光秀、豊臣秀吉、毛利元就、
支倉常長、伊達政宗、石田三成、島津義弘、
徳川家康、真田幸村 などがピックアップされています。
一人につき10ページ程度なので目的の人物だけとかも
読めます。非常に手軽かつわかりやすいです。

歴史上の人物を知らなくても こういう話題なら
みなさん興味があるのではありませんか?

「戦国大名の埋蔵金」
大名が経営、領民・軍隊などを養ったり、同盟の際に使ったり
するために「金」を大量に持っていたということを…
有名なのは「武田信玄の埋蔵金」「徳川埋蔵金」などですが、
金山・銀山など持っていた大名はほかにも
上杉謙信や毛利元就などが有名です。古くは"奥州藤原氏"が有名ですよね。

そして、あまり注目されないが、
その実力は近隣の大名を怖れさせたいう
飛騨の"内ヶ島氏"という大名がいます。

多少、歴史を知っている人でも「誰!?」(笑)とかつい言ってしまうでしょう。

『内ヶ島氏』は、飛騨白川郷にいた武将といわれます。
かの楠木正成の末裔とも言われ、足利義政の代に将軍の命を受け
信州松代から白川郷に移ったといわれています。

有能な鉱山師の一族で"金" "銀"など掘る技術がすばらしく
6つの山を保有していたとも伝えられています。
120年も一族は潤い、慈照寺銀閣、安土城に
この白川産の金、銀が使われたといわれます。

1585年 豊臣秀吉の傘下、金森長近に攻められます。
当時、内ヶ島氏は佐々成政と同盟して秀吉に対抗して、
その強さはなかなか厄介だったようです。
 しかし飛騨最大の大・三木自綱も破れ、
もはや抵抗はできないと決死の覚悟で降伏を申し出ます。
1585年3月、多少領土は削られましたが"白川郷"は安堵されます。
おそらく金を献上したことでしょう。

そのお祝いをしようと家臣たちを集め宴会をはじめたのが、
「天正の大地震」前夜

そして今日のそのとき…

1585年11月29日(太陽暦:1586年1月18日)、
「天正の大地震」
により内ヶ島氏はその居城"帰雲(かえりくも)城"とともに埋没したのです。

 震源は北陸地方でマグニチュードは8.1といわれ、帰雲山の崩落の他、
越中の「木舟城」が崩壊、下呂の大威徳寺も崩壊、
遠く京都の三十三間堂の仏像も相当倒れたらしいです。
これにより鉱山師たちも失われ…金も埋没した。

その城の位置は、

岐阜県大野郡白川村保木脇(国道156号線)→帰雲山(1622m)がみえる
岐阜県大野郡白川村平瀬(県道451号線)→候補地、三方崩山(2058m)周辺
あといくつか候補地がありますが、決め手がありません。

書籍自体もほとんど絶版なので、普通一般の人が調べることもかなり難しく
未だ、帰雲城の位置も内ヶ島氏もほとんど解明されていないのが実情です。
ゆえにこの金が見つかったら…大変な歴史的発見になことでしょう。
それと地震の震源が詳しくわかれば、地震の研究にも役立つかもしれません。

by chiemine74 | 2008-07-18 11:45 | 歴史 | Comments(0)

過去から学ぶ


ちえみ輝虎です。

歴史関連の史跡周りが好きですが、最近そういった場所には行けてません。
やはり車がなくなったのが痛いなぁ…

今 読み直している本はコレ
「日本古代史がわかる本」
謎の女王・卑弥呼から古墳の世紀までが描かれています。
のちの鎌倉・室町・戦国時代・江戸時代などと違い
文献が非常に少ない、あるいはないなどの理由により
解明されていないことが多いのです。
幕末や明治・大正・昭和などはかなり事細かに文献が残っているので
ある程度は解明されていますが、古代史は本当に謎が多いです。

「吉野ヶ里遺跡」「邪馬台国」「卑弥呼」「前方後円墳(仁徳天皇陵など)」は
歴史に詳しくなくても名前ぐらいは知っていると思います。
 邪馬台国はどこにあったか?は最近TVでも放映されていました。
この成立した年数も漠然としていて…
○○○年ころとしか表記しようのないのが現状です。
きっかけはともかく そういうのを読んで
史跡を訪ねるためにドライブするが面白いものです。

よく歴史は嫌いとか過去のことには興味ないとか言う人も
いると思いますが…

過去のある部分と今のある部分は共通したことも起きていたりするのですよ。


例えば、規模が大きいですが、『地球温暖化』
先日まで北海道の洞爺湖でサミット、
その中でも『温暖化対策』のことは話されましたが…
過去にも地球規模での温暖化は起こっているのです。

何万年(4万年から10万年)かのサイクルで、

氷河期の終了(およそ1万年前)→安定期→地球温暖化→
南極・北極の氷が解ける→海岸線の上昇
→(ひどくなると)大洪水→氷河期→[最初に戻る]

ご存知の人もいると思いますが、今は氷河期と氷河期の間
つまり間氷期です。
現在までに4回の氷河期があったと学説にあります。
現在は4回目の氷河期の後の間氷期であり、
最新の研究では
人間活動の影響がなくても間氷期は約5万年ほどつづくだろうと示唆している。

だからといって、何も対策を講じないことは良くないことです。

古代史研究でよくでてくる『洪水伝説』は、
地球温暖化、そして大洪水を
生き残った人たちが伝えようとしている
現代人に対する警告であると自分は思うのですよ。

それでなければ…世界中で同じような『洪水伝説』は伝えらていないと思います。

「古代史」から「超 古代史」まで話は飛んでしまいましたが、
過去から学ぶことも多いということを伝えたい気持ちなのです。

by chiemine74 | 2008-07-10 13:29 | 歴史 | Comments(0)